三重映画フェスティバル実行委員会のご協力によりお送りしている「三重映画さんぽ」。今年度は「三重県ゆかりの映画人」というテーマでお送りしています。
今回は三重映画フェスティバル実行委員会事務局長の田中忍さんに市川崑監督をご紹介いただきました。
市川監督は1915年(大正4年)今の伊勢市に生まれました。
4歳の時に家の事情で大阪に移りますが、生まれつき体が弱く、家の中で絵を描くのが大好きでした。後年、映画に熱中し、好きな絵と映画がうまく結びついた仕事はないかと考えられていた時に、ディズニーアニメに出会い、「これだ」と映画界の門を叩いたのです。1933年(昭和8年)の頃のこと。以降、2008年(平成20年)2月13日、92歳で亡くなられるまで、75年にわたる生涯現役の映画人生をおくられました。
市川監督といえば、石坂浩二さんが金田一耕助を演じた「犬神家の一族」が有名です。1976年と2006年に2度製作されました。1976年に「犬神家の一族」が公開された時は、日本映画でも豪華俳優を使って、このような娯楽大作が作れるのだと話題になり大ヒットしました。その後「悪魔の手毬唄」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」まで、計5本、石坂さん・市川監督による金田一シリーズは製作されました。「病院坂の首縊りの家」は三重県伊賀市でもロケされていて、石坂さんが街中を歩くシーンでは大勢の見物客が訪れたそうです。
1976年の「犬神家の一族」以降は、監督の映画人生の折り返しに当たっていて、前半部分にあたる1950年から70年にかけて、「炎上」「鍵」「おとうと」そして「東京オリンピック」などたくさんの名作を世に送り出しています。市川監督が撮影された「東京オリンピック」は1964年の時のもので、映画は翌年の1965年に公開されましたが、1950万人もの観客動員数があり、その数字は2001年に公開された「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで、日本公開歴代映画観客動員数で一位を続けていました。因みに、ディズニーの「アナと雪の女王」が2000万人の観客動員数になっていますので、「東京オリンピック」は今、第3位です。
そんな市川監督を支えたのは奥様の市川由美子さん。監督の映画の30数本の脚本をてがけられ、脚本家「和田夏十」というペンネームで監督とともに歩んで来られました。
残念なことに、夏十さんは1983年2月18日、62歳で、乳ガンにより先立たれました。
三重県ゆかりの市川監督、今年が生誕100年。
三重映画フェスティバル実行委員会として、何か、監督の顕彰事業ができないかと、案を練っているところだそうです。
市川監督作品のパンフレット(田中さんのコレクションより)
山上和美でした♪