みなさんこんにちは、伊藤あやです
毎週金曜日「READY!」内
午前9時30分頃からお送りしている
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午前9時30分頃からお送りしている
あやのみえ旅(・∀・)!
2011年6月3日(金)&17日(金)の2週にわたって
「鈴鹿市 佐佐木信綱記念館」をご紹介しました★
信綱は、明治5年に歌人弘綱の長男として石薬師に生まれ
幼少期から、父の英才教育を受け育ちました。
とにかく、小さい頃から本が好きで
普通なら、泣き喚いて~(>_<)!!
となるところが、信綱は逆に大喜び!
父と息子が、肩を並べ共に勉強する姿を想像してしまいますね~!
こうして生まれた歌も生家では展示されていました
そして、続いて訪れたのが「展示室」です
こちらは信綱が6歳の時に詠んだ直筆の歌!
わずか6歳とは思えないほどの立派な歌と、しっかりとした文字!!
ちなみに、6歳と言っても
数え年でいうと"5歳"なんだそう。
私が、5、6歳のときは・・・え~(笑)
そして、その少し先に目をやると
これ、なんだと思います??
名刺なんですよ~
これには、名前にまつわる
あるエピソードが隠されています
みなさんは、「佐佐木信綱」という名前に疑問を持ったことありませんか?
そう、「佐々木」ではなく「佐佐木」であるということ・・・
実は、彼が中国へわたったとき
当時の中国には、「佐々木」の「々」という字が存在しなかったのです。
また、名前を略すのはよくないという意見もあって
こうした経緯があり、
今の「佐佐木信綱」という名前が誕生したのです。
彼は、この名前を大変気に入ったそうで
32歳以降に発刊されたものは
全てこの「佐佐木」が使用されています。
ただ、戸籍上はあくまで「佐々木」
もちろん父も同じですよ~(^^;)
そして、今回私が一番見たかったのが
文化勲章!!
信綱は、昭和12年に文化勲章が制定された
ちなみに、この第1回受賞者といえば・・・
長岡半太郎、本多光太郎、藤島武二
横山大観などの著名人の名が並びます。
その中で信綱は
66歳という最年少で受賞したのです。
受賞に際して信綱は
「父があって今の自分がある」と深く感謝し
受賞後、すぐに父の墓へと向い
その文化勲章を見せたそうです。
父のようになりたい!と毎日父の背中を見て育った彼が
ようやく父を超えられた日なのかもしれませんね。
「鈴鹿市 佐佐木信綱記念館」をご紹介しました★
佐佐木信綱といえば、鈴鹿市が生んだ偉人!
歌人であり、国文学者として活躍しました。
信綱が生まれた現在の石薬師町には
佐佐木信綱記念館があります!
信綱の貴重な資料を展示する「展示室」のほか、
「土蔵」、「生家」、信綱が還暦を記念して贈った
「石薬師文庫」もあるんですよ!
佐佐木信綱記念館
(左)館 長 坂尾富司さん
(右)学芸員 磯上知里さん です!
そんな佐佐木信綱記念館について
今回ご案内いただいたのが・・・
今回ご案内いただいたのが・・・
佐佐木信綱記念館
(左)館 長 坂尾富司さん
(右)学芸員 磯上知里さん です!
まずはじめにご紹介したのが
信綱が6歳まで過ごした「生家」
それでは早速見ていきましょう(・∀・)♪
ちなみに、玄関はこの裏手なので・・・
展示室の横を通り、裏手へまわります!
いや~、それにしても立派な建物だこと!
平成23年2月1日には
鈴鹿市景観重要建造物第1号に指定されたそうです。
中庭も雰囲気がいいですね~
そして、入り口が見えてきましたよ~
と、その前に・・・
ちなみに、玄関はこの裏手なので・・・
展示室の横を通り、裏手へまわります!
いや~、それにしても立派な建物だこと!
平成23年2月1日には
鈴鹿市景観重要建造物第1号に指定されたそうです。
中庭も雰囲気がいいですね~
そして、入り口が見えてきましたよ~
と、その前に・・・
もしや、これは!?
そう、佐佐木信綱と言えば
日本を代表する唱歌「夏は来ぬ」の作詞家でもありますよね!
その中で詠われている"卯の花"にちなんで
ここには、卯の花がたくさん植えられているんです!
それでは、生家の中へ・・・
生家は、もともとこの場所にあったものなんですが
一度売りに出され、同じく鈴鹿市の泉に移されました。
そして信綱の没後昭和45年に、鈴鹿市が買い戻し
再び石薬師へ戻って復元されたそうです。
そのため、建物の一部は、改築はされているものの
(例えば台所がなくなっている、耐震化のため
壁などが補強されているなど)
雰囲気は、当時のまま!
一般公開され、誰でも見学することができます♪
信綱は、明治5年に歌人弘綱の長男として石薬師に生まれ
幼少期から、父の英才教育を受け育ちました。
そして、幼いながらも歌を作る作歌となったのです。
とにかく、小さい頃から本が好きで
自分で「本の虫」と語るほどだったそうです。
また、本好きをしめすこんなエピソードも!!
ある日、信綱は父に叱られ
土蔵に閉じ込められます。
土蔵に閉じ込められます。
普通なら、泣き喚いて~(>_<)!!
となるところが、信綱は逆に大喜び!
なぜなら、そこには
信綱が大好きな本がたくさん積まれていたからなんです。
なかなか土蔵から声があがらない母が心配していると
泣くどころか、信綱は本に囲まれて
とてもうれしそうだったそうですよ
それほどの本好き、勉強家であったことから
子どもの頃の遊び(いわゆる、凧揚げやコマ遊び)などは苦手で
周りからは、子どもらしくないというか
変わった子のように思われていたそうです。
とにかく、外で遊ぶ暇があったら
本を読み、勉強をしたい子だったんでしょうね~^^
それほどの本好き、勉強家であったことから
子どもの頃の遊び(いわゆる、凧揚げやコマ遊び)などは苦手で
周りからは、子どもらしくないというか
変わった子のように思われていたそうです。
とにかく、外で遊ぶ暇があったら
本を読み、勉強をしたい子だったんでしょうね~^^
こうして幼い頃から短歌、古典、知識の本など
多くの本に囲まれて育った信綱は
文字の美しさと、表現する喜びを手に入れていきます。
文字の美しさと、表現する喜びを手に入れていきます。
父と息子が、肩を並べ共に勉強する姿を想像してしまいますね~!
こうして生まれた歌も生家では展示されていました
そして、続いて訪れたのが「展示室」です
ここは、右側からの順序となっていて・・・
右半分は信綱の生涯について・・・
正面は、歌人・学者としての信綱の功績
そして、左が 夏は来ぬの作詞家として活躍した
そして、左が 夏は来ぬの作詞家として活躍した
唱歌の展示や、学校の校歌
ちなみに、信綱は
ちなみに、信綱は
鈴鹿市内の3つの学校の校歌も手がけていますので
こうした作詞家としての1面も紹介されています!
こうした作詞家としての1面も紹介されています!
また、信綱は大和(奈良)を
「心のふるさと」と思い、たびたび足を運んだこともあり
現在「信綱と奈良」というテーマで常設展示が行なわれています!
それでは、中を詳しく・・・「心のふるさと」と思い、たびたび足を運んだこともあり
現在「信綱と奈良」というテーマで常設展示が行なわれています!
わずか6歳とは思えないほどの立派な歌と、しっかりとした文字!!
ちなみに、6歳と言っても
数え年でいうと"5歳"なんだそう。
私が、5、6歳のときは・・・え~(笑)
そして、その少し先に目をやると
これ、なんだと思います??
名刺なんですよ~
これには、名前にまつわる
あるエピソードが隠されています
みなさんは、「佐佐木信綱」という名前に疑問を持ったことありませんか?
そう、「佐々木」ではなく「佐佐木」であるということ・・・
実は、彼が中国へわたったとき
当時の中国には、「佐々木」の「々」という字が存在しなかったのです。
また、名前を略すのはよくないという意見もあって
「佐々木」を「佐佐木」に変えて表記したそうです。
こうした経緯があり、
今の「佐佐木信綱」という名前が誕生したのです。
彼は、この名前を大変気に入ったそうで
32歳以降に発刊されたものは
全てこの「佐佐木」が使用されています。
ただ、戸籍上はあくまで「佐々木」
もちろん父も同じですよ~(^^;)
そして、今回私が一番見たかったのが
文化勲章!!
信綱は、昭和12年に文化勲章が制定された
記念すべき第1回の受賞者なんです!!
ちなみに、この第1回受賞者といえば・・・
長岡半太郎、本多光太郎、藤島武二
横山大観などの著名人の名が並びます。
その中で信綱は
66歳という最年少で受賞したのです。
受賞に際して信綱は
「父があって今の自分がある」と深く感謝し
受賞後、すぐに父の墓へと向い
その文化勲章を見せたそうです。
父のようになりたい!と毎日父の背中を見て育った彼が
ようやく父を超えられた日なのかもしれませんね。
そして最後は、生家の隣にある
「石薬師文庫」をご紹介しました。
「石薬師文庫」をご紹介しました。
こちらは、館長の坂尾富司さんにご案内いただきました
信綱は、6歳までこの地に住みその後東京へと移っていますが
「これのふぐら良き文庫たれ故郷の里人のために若人のために」
とあるように、ふるさとを大変大切にしたそうです。
そして、昭和7年に
信綱が還暦を記念して石薬師文庫を贈り
現在でも地域の図書館として、多くの人々に親しまれています
文庫の前には、信綱と、孫である幸綱さんの句が・・・
ちなみに幸綱さんは
早稲田大学名誉教授であり
NHK短歌入門なども手がけるほど
日本を代表する歌人であり
国文学者として活躍されている方です
こう見ると、信綱の思いや歌が
しっかりと次の世代へと受け継がれていることを実感しますね!
そして受け継がれているのは
この「石薬師」という町も同じ
短歌をより多くの人に親しんでもらおうと
信綱は、6歳までこの地に住みその後東京へと移っていますが
「これのふぐら良き文庫たれ故郷の里人のために若人のために」
とあるように、ふるさとを大変大切にしたそうです。
そして、昭和7年に
信綱が還暦を記念して石薬師文庫を贈り
現在でも地域の図書館として、多くの人々に親しまれています
文庫の前には、信綱と、孫である幸綱さんの句が・・・
ちなみに幸綱さんは
早稲田大学名誉教授であり
NHK短歌入門なども手がけるほど
日本を代表する歌人であり
国文学者として活躍されている方です
こう見ると、信綱の思いや歌が
しっかりと次の世代へと受け継がれていることを実感しますね!
そして受け継がれているのは
この「石薬師」という町も同じ
短歌をより多くの人に親しんでもらおうと
東海道沿いには、こうしたものもあるんです!!
これは「信綱かるた道」として
これは「信綱かるた道」として
東海道石薬師宿に36句あるそうです。
また、信綱かるた道の句と
地図が描かれたパンフレットもありますので
ぜひごちらを手にして、
ぜひごちらを手にして、
信綱への思いをはせながら歩いてみてください♪
この他、資料館や生家などには
番組内ではご紹介できないほど
たくさんの展示品があります。
たくさんの展示品があります。
実際に訪れ歌人として約一万首の歌を作った
歌人・国文学者 佐佐木信綱の功績をたどってくださいね!
■佐佐木信綱記念館
住 所 鈴鹿市石薬師町1707-3
電 話 059-374-3140
電 話 059-374-3140
休館日 月曜日、火曜日、第3水曜日
(ただし、月曜日のみ休日の場合は開館)