[トップに戻る]


インタビュー 第42回 浦村アサリ研究会 浅尾大輔さん




今日を頑張るあなたに送るインタビュー。

県内で活躍されている方々のお話をお届けします。

今朝は鳥羽市浅尾大輔さんです。

9月インタビュー.jpg

昭和54年5月、大阪府生まれ。

鳥羽市浦村の孝志丸水産 代表。

牡蠣養殖を行う一方、

牡蠣殻を使った新たなアサリ養殖技術を確立し、

平成25年度 農林水産祭

最高賞である「天皇杯」を受賞しています。

浅尾さん、もともと漁業の経験はありませんでした。

高校卒業後、全国を旅してまわる中で、

三重の海に魅了されたのが始まりです。

景色を気に入り、美味しいもの多く、何より人がいい。

全国旅した中でも住みやすいと感じました。

工場勤めもしましたが、

収穫することが好きだったのでそれが仕事になればいいな、

自分の職場は海だと言いたかったそうです。

そこで、奥様の親戚が牡蠣養殖をしていて

その権利を買って漁業者になったのが10年前。

漁業は素人で、船の運転は下手、船酔いはするし...と散々でした。

でも、カキ養殖を始めて楽しかったのは、日々大きくなる牡蠣を見る事。

貴重な体験をしているなと感じたそうです。

鳥羽市浦村町の漁協は牡蠣を市場に卸さなくてもよく、

売り先がなかったので始めたのが、焼牡蠣屋です。

目の前でお客さんが自分の焼いた牡蠣を食べてくれる。

お客さんの喜ぶ顔が見られて嬉しかったし、

牡蠣1個いくらでお金が入る。

月給を待っていたタイプだったので、どんどん稼ぎに行く、

日々のやりがいにつながって楽しかったといいます。

とは言え、苦労はあります。

思うように収穫できないことはもちろんですが、

単純に、牡蠣養殖の時期が春先で終わってしまうこと。

つまり、そこからの収入がなくなってしまうのです。

ざっくりは考えていましたが、実際に仕事が無くなってくると気持ちは焦ります。

その時に地元の浜でアサリ養殖をしている現場に携わりました。

全国的に見ても、アサリは減少、その浜でも全く取れなくなっていました。

アサリを復活させるために、牡蠣殻をつぶして丸めた玉を袋に入れて、

そこからアルカリ分が出てアサリが復活できないか。

置いて半年後のネットを見たらアサリがじゃらじゃら入っていました。

調べると、アサリが減ってきた原因は浜の酸性化、ヘドロ。

牡蠣殻はアルカリ分。

ネットは牡蠣殻によってアサリにとって居心地の良い環境でした。

そして浦村アサリ研究会を立ち上げ、事業を行うことになりました。

漁村で育った長男でなはいし、

ゼロベースだから頭が柔らかったのかもしれません。

単純に楽しそうだと。

基本的にずっとワクワクしています。

浅尾さんの中でワクワクしている人が最強。

強い敵や困難が現れてもワクワクで乗り切ります。

自分が負けたとしても

「もう1回勝ってやるんや」

「そんな強いやつがおったな」と

漫画の主人公になった気持ち。

ワクワクしている中で物事を考えるとアイデアも出てきたり、

次は何々してみたいと好奇心もあったり、

またワクワクしている奴に仲間が集まったり、

敵だった人も仲間になって物事に取り組んでいく。

正直、邪魔されたりがっかりすることはありますが、

それはそれで美味しいな、将来、酒のつまみになるな、と。

へこむより、そういうことがあってまた強くなれる。

今年も牡蠣のシーズン。

今から楽しみ。

大きくなってくる牡蠣を見るたびに、

どうやってお客さん喜ばしたろかなと思います。

◆浅尾さんの根本◆

 ワクワク

浅尾さんは今後、次世代の育成や、

水産と福祉の連携などに取り組みたいということです。

山上和美でした♪




レディオキューブFM三重
(c)radio3 FM MIE
[JONU-FM 78.9MHz]