インタビュー 第14回 ひらのきかく舎 平野昌さん

今日を頑張るあなたに送るインタビュー。
県内で活躍されている方々のお話をお届けします。

今朝は、アートや文化イベントを企画されている「ひらのきかく舎」代表 平野昌さんです。

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1955年、津市出身。
三重県立津高校、専修大学を経て、1983年三重県職員に。
1995年、阪神・淡路大震災の直後、消防防災課に着任。
地域防災計画の抜本的な見直しをするほか、「災害図上訓練DIG」を作りました。
2002年には、東紀州活性化プロジェクトグループに着任。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録後の活用施策をまとめた地域アクションプログラムを地域住民たちと策定されました。
2015年にご両親の介護等で早期退職し、「ひらのきかく舎」を立ち上げられました。

平野さんにとって、人生一番のピンチは中学1年の時。
腎臓が悪くなったのです。
人生13歳にして終わったと感じたそうです。

中学高校と治らず、自暴自棄の時期も。
高校はなんとか卒業し、大学受験もしましたが、受かりません。
行きたい大学を目指し浪人しつつも、同級生が卒業してくるころ、これ以上、親に迷惑かけられないと、合格した大学へ。

親に対して申し訳ない気持ちはあった一方、自分の一生があまり長くはないということがあって甘えてたのかも。
だから浪人時代は、勉強以外のことしかしなかったとか。
人の一生分の本を読みたい、
人の一生分の映画を観たい、
人の一生分の音楽を聴きたい

公務員生活を振り返って思い出に残っている仕事は、
どの仕事も楽しかったけれど、
思い出に残っているのは、阪神淡路大震災の後、防災担当をしたこと。
緊張の仕方が違ったそうです。
防災の仕事は県民の方の生命まで関係するから間違えられない。
だからあの時、仕事の仕方をやり方を変えたそうです。

自分でこじんまりとまとめるということをしたら仕事のキャパシティからしてできない。
だから、ベストの人と組んで、その人の仰ることを実現するとかコーディネートすることを責任をもってやることを心がけていたそうです。

平野さん、楽しいことが好き。
今、「ひらのきかく舎」と屋号を付けて好きなことをされています。
ゲストさんとお客さんが楽しそうにする、その瞬間が、楽しいし、嬉しい。
講座は、素晴らしい方との関係をシェアする、そんな気持ちで行っているそうです。

患っていた病気は、学生時代、好きな事しかしなかったらいつの間にか治っていたそうです。
治ったと思った時に、もう一回生きるみたいな感じがした、と。

いっぱい無駄なことばかりしてきたつもり。
だけど、それが仕事の時でも役に立ったそうです。

◆人生で学んだこと◆

人生に無駄はほとんどない


その時は無駄とは思っていないかもしれないけど、人生いつかは役に立つ。
ずっと重なって年を取っていくんだから。
無駄をやりましょう。



インタビュー、次回は6月6日の放送予定です。



山上和美でした♪