第34回インタビュー 本居宣長記念館 館長 吉田悦之さん

今日を頑張るあなたに送るインタビュー。

県内で活躍されている方々のお話をお届けします。

今朝は、本居宣長記念館 館長 吉田悦之さんです。 

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1957年9月、松阪市生まれ。

国学院大学文学部を卒業後、

本居宣長記念館 研究員を経て、

現在、館長を務めていらっしゃいます。

吉田館長が本居宣長に出会ったのは12歳、中学1年の時。

入学した三重中学の校舎の前に宣長の像があったこと。

そして同じ年、本居宣長記念館が開館したことででした。

以後、約50年にわたり、宣長との縁が続きます。

宣長は、江戸時代50冊の本を残しました。

その中から、吉田館長の好きな言葉は・・・

「みなあやし」

すべては不思議である。

人間、知識が増えれば増えるほど、

経験を重ねれば重ねるほど、物事におどろかなくなります。

でも、宣長は驚くことが出来たんです。

「不思議だな」「なんでだろう」が宣長を動かす原動力でした。

「このこころ いまだつまびらかならず」

代表作「古事記伝」の中で繰り返し言う言葉。

つまり、「これの意味は分からない」

だけど、最初からお手上げなのではなく、

調べつくして、考えつくして、わからない。

「私はこう考えたが」と、次の世代の人にバトンを渡す、

つまり、宣長は「学問の未来」を信じているのです。

「さっぱりとうつくしゅうなった」

72歳、宣長が亡くなる、最後の言葉。

危篤の宣長の元に、嫁ぎ先から駆け付けた長女を見て。

「おまえ、綺麗になったね」

その言葉に何か意味があるという訳ではなく、

聞いている周りがホッとする言葉。

まだ生きたいではなく、人生にやり残したことがあるではなく、

うつくしいものを見て命を終える。

まるで、宣長の72年の人生を象徴しているようです。

常に悲観せず、世の中の面白いいろんなものを見て、

全知全能を使って、前に向かって進んでいく。

「明るい」「前向き」「現在進行形」

だからこそ、宣長と巡り合ったことは

吉田館長にとって幸せだとおっしゃいます。

吉田館長は、

12歳の時に自分の中にまかれた宣長の種がうまく芽を出してくれ、

今の仕事に就くことが出来ました。

だからこそ、子どもたちの中に種をまきたいのです。

研究してくださいではなく、

心の中に抑えておいてもらえれば、

子どもたちが成長した時、

芽を出す種があるかもしれないからです。

山上和美でした♪