インタビュー 第39回 内閣府地域活性化伝道師 伊東将志さん

今日を頑張るあなたに送るインタビュー。

県内で活躍されている方々のお話をお届けします。

今朝は、株式会社熊野古道おわせ 支配人 伊東将志さんです。

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1974年1月、尾鷲市出身。

県立尾鷲高校を卒業後、尾鷲商工会議所に就職。

30歳の時に「熊野古道おわせ」の立ち上げに商工会議所として関わり、

40歳で「熊野古道おわせ」に移籍。

内閣府の地域活性化伝道師も務める、地域おこしのスペシャリストです。

伊東さんは生まれも育ちも尾鷲。尾鷲以外の地域では暮らしていません。

Q、地元に暮らし続ける理由は?

A、今もそうですが、過疎高齢化で高校を卒業したら出ていくのが当たり前の町。

27年前も同じでした。

だけど、地元を出るのと、地元に残るのとどっちがレアケースになれるか、

希少性を考えたときに、

地元に残る人生の方が、

ほかの人とは違う人生になるのではないかという期待がありました。

成績も平凡で、普通の子が、

何者かになるかを考えた唯一の戦略は「出ない」ということでした。

17歳の時に決めました。

Q、地方はハンディでは?

A、ありがたいことに、

僕の周りの大人が、自分の町のことが好きだという人が多かった。

このことが、自分の考え方のプラスになりました。

日本中、困っている地域はたくさんあって、都会以外は皆、同じ。

それに気づけたことで、ハンディを好意的に受け止めることができました。

地元には、何かを成し遂げた人がたくさんいたというよりも、

チャレンジしている大人が多かった

たくさん人が来るためにはどうしたらいいか、

一生懸命、町のことを考えている人が多かったのです。

尾鷲は雨が多くて有名。

それを誇りに思っている人が周りに多かった。

尾鷲の名前を売っていく仕事、いい仕事だと思えました。

親もそうです。

母親も、一歩も尾鷲から出たことありませんが、

この町が世界で一番良いという人。

自分の価値観の中だけど、そう言い切れるのは素敵なことです。

Q、地域に良いところがいっぱいあるのに、

それに気が付いていない人が多いですね。

A、たくさんの旅人をもてなすケースや

紹介するケースをたくさん設ける事が必要です。

自分の大好きな人や場所、ものに触れてほしいと思ってご案内しますよね。

すると、必ず「いいね」と言ってくれます。

それを聞くたびに誇らしくなる、その経験が大事です。

Q、辛いことの乗り越え方は?

A、自分の人生を1本の映画ととらえるようにしています。

自分が亡くなった時に、自分の名前が付いた映画が仮に上映されるとしたら、

どのシーンが使われるだろうと捉えたときに、

いいことも、悪いことも、辛いことも、悲しいことも織り込まれると思いますが、

今日もし辛いことが起きたとして、

このシーンが使われるかどうかと考えるようにしています。

もし5年前にあった辛かったことが使われるとしたら、

今日の辛かったことはカットされる。

もしくは5年前に辛いことがあったとしても、

明日もっと辛いことがあってそっちが使われるとしたら

脚本が上書きされたと考えます。

自分の人生が激しく山あり谷ありの人生になります。

そういう映画の方が、他の人から見ても、

あの人の人生はいい人生だったね、あの映画はいい映画だったねと言われます。

だけど、きわめて辛いことが起きたとしたら

そのシーンがずっと残っていくだけです。

いい話も同じです。

そういう風に考えると少し気が楽になるよと話しています。

周りの大人たちが、「尾鷲」の良さを教えてくれたように、

伊東さんはSNSというツールを使って、尾鷲の魅力を発信し続けています。

山上和美でした♪