インタビュー 第40回 北京五輪MTBチーム監督 西井匠さん

今日を頑張るあなたに送るインタビュー。

県内で活躍されている方々のお話をお届けします。

多気町の西井匠さんです。

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1973年1月、名古屋市生まれ。

香川大学農学部を卒業後、中京大学大学院体育学研究科を経て、

体育学博士号を取得。

自転車を感性工学の観点から研究されています。

2008年には北京オリンピック マウンテンバイクチーム監督を務められました。

西井さん、自転車を始めたのは大学生になってから。

さらには高校時代まで帰宅部だったそうです。

西井さん曰く・・・

大学に進学し、サイクリング部に所属しました。

サイクリングは旅なので、どちらかというと文化的。

体育系ではありませんでした。

たまたま出場したローカルレースで、

超初心者クラスで6位入賞。

「帰宅部だった俺でもなんとかなるんだ」

スイッチが入った瞬間です。

それからだんだんと自転車競技にのめり込んでいきました。

競技をやるようになって、

お世話になっていた自転車屋さんに、

偶然にも、アトランタオリンピックの代表の方が2人もいたんです。

その人たちと練習をさせていただくうちに、

練習するときはものすごく強いのに、

普段の生活をみているとすごくゆるい。

俺も、グダグダ加減では負けないぞ、

これなら俺もオリンピックに行けるんじゃないという

妙な勘違いを起こしました。

でもそれは、プロの方々が、

オンとオフを上手に使い分けていたということを知るのは、

ずいぶん後になってからです。

自分も頑張ってみようかなと思う環境にいさせてもらった

というのがきっかけです。

それから頑張るには頑張りました。

でも、これだけ練習を頑張っても、こんな成績か、と。

27歳ですっぱり選手はやめました。

ですが、オリンピックを仮に山に例えるなら、

登山道はいくつもあって1本じゃない

違う道でも登り切ったらそれはオリンピックだ、と考えました。

周りを見渡したら、

まだ科学的なバックグラウンドを持ってコーチングをされている方が

自転車界にはあまりいないように感じたので、

この道はまだチャンスがあるかも知れないと思って、

選手を辞めて、さっとそっちに切り替えました。

帰宅部だった人がオリンピックという夢を叶えたー。

夢というか、

しっかりとビジョンをもって目標にしたというほうが意味合いが強いかも。

その秘訣は、

諦めないこと。

こうじゃなきゃいけないとおもわないこと。

例えば、

選手としてオリンピックに行くという事が一番理想的な形ですが、

そうでなくてもオリンピックという山に登る道はいくつでもある。

いろんな可能性を自分の中で確認しながら、

それを一つ一つ試してみて、可能性があるところの道を登っていく

オリンピック選手たちに大学生の時に出会ってから、

自分がオリンピックに参加させていただくまで15,6年かかっている。

その間、寝食を忘れるほどに好きでい続けられた。

そういうものに早い段階で出会うことが出来たというのがラッキーでした。

好きなものに出会うには、

個人的に、いろんなことにチャレンジするということかな、と。

これはどうせ無理だろうとか、これはやっても無駄だろうと思わずに、

やっていないことはわからないので、まず1回やってみよう

それから判断すればいい。

いろんなものに挑戦して、いろんな引き出しが自分の中にできると、

私の場合、自転車で行き当った時に開ける引き出しが何個もあるので、

これが自転車しかやってこなかったら、おそらく僕はダメでした。

それまでにいろんなことをやっていたおかげで、

じゃあこれがダメなら、今度はこっちの引き出しを開けてみよう、

これでもダメならこっちはどうだみたいな形で、

それぞれいろんな課題が発生するたびに、

解決の糸口を違うところから見つけることができました。

感性工学の観点から、自転車の魅力を研究する西井さんは

「自転車は日常生活との親和性が高い」と言います。

移動手段でありながら、

アクティビティの要素もあり、五感を刺激される。

自転車に乗ると気持ちいいと感じるのは

視覚、聴覚に心地よい刺激を受けるからだそうです。

山上和美でした♪