三重県発展のルーツを知ることが出来る場所?!
「度会町ふるさと歴史館」
度会町中之郷の廃校になった旧・小川郷小学校にあります。
三重県は江戸時代、「伊勢商人」の活躍がめざましく、
その中で、松阪の商人が盛んになるきっかけとなったのが、
多気町丹生の水銀で作った伊勢白粉でした。
水銀の精製は室町時代から行われていたそうです。
実はそれよりさらに古い時代、縄文時代に、
水銀のもとになる朱(しゅ・あか)の文化があったそう。
その場所が、度会町なんです。
「森添遺跡」
度会町上久具字森添。
宮川沿いです。
昭和61,2年頃、橋を架けるため発掘調査が行われ、
大量の土器や石器、住居跡が見つかりました。
大変深い遺跡で、生活跡が何層にも重なっていて、
大量の遺物が出ました。
石鏃(矢じり)、石の斧、土偶や勾玉、管玉などの装飾品など、
数え切れないほどの遺物が出土しています。
高さ1mほどの巨大な甕(縄文土器)まで!
その中、興味深いのが、
この地域ではつくられていない土器がたくさん見つかったということです。
例えば、東北や北陸、中部、愛知の三河などで作られていた土器や
熊本で取れた翡翠など。
これはつまり、縄文の時代、
この地が各地と盛んに交流を行っていた証
と言えるそうです。
教えていただいた、
発掘調査に関わった三重県文化財保護指導員の奥義次さんによると、
その理由は、朱の原料となる「辰砂(しんしゃ)」、赤い鉱石が
たくさんあったからです。
辰砂は、割って砕いて、原料にし、
儀式祭礼やアクセサリーなどの装飾品に使われ、
この時代の人々の精神文化に、重要な役割を果たしました。
さらに、飛鳥・奈良時代になって仏教文化が入ってくると、
大仏のメッキに使われたり、
江戸時代になると、殺菌効果を活かす使われ方もしました。
だから、
「朱」を媒介にして、度会のこの地は、全国と交流していた
のだそうです。
狩猟や採集が盛んな時代にあって、特産品があった
ということはすごいことです。
朱の原料となる「辰砂」は、日本地質学会によって、
三重県の石(鉱物)に指定されています。
こういったことを知ることができる場所が、度会町ふるさと歴史館です。
「朱」のこと、森添遺跡のこと、また昔の暮らしなどについて知ることができます。
「度会町ふるさと歴史館」
開館日:第1、第2、第3、第4の木曜日と第2、第4の日曜日
開館時間:午前9時~午後4時まで。
入館料:無料
電話番号:平日 0596‐62‐2422(度会町教育委員会事務局)
土日 0596‐62‐1588(度会町中央公民館)
山上和美でした♪