宮川を渡り、茶畑を抜けると緑豊かな小道が続く。 今回は、度会町にある『木ままな美術館cafe萌音』の館長、井爪貞子さんがお客様です。 70年前に作られた古民家をほとんど自分たちで改装して、今年の6月にオープンしました。

土地が全部で500坪あるんですよ。 しかもこの前の庭を省いて、一面全部茶畑としきり畑で。 一つも空間がないほど埋め尽くされていました。 そんなところで果たして回復させることができるか、と考えました。 『木ままな美術館』は木の間に建っている建物ということで、自然の環境を活かした場所で催し物をできたらな...そんな思いがありました。 ここをどう蘇らせるかは、至難の業でした。 ぼちぼちできるところから手を付けたという感じです。 一番最初は床でしたかな。 シロアリが出ていたので、床を抜くことになりました。 大工さんに全部抜いてもらい、その後、床下の掃除をしていたら、おくどさんが残っていたのを見つけました。 このあたりは昔、おくどさんを使っていたんですね。 懐かしい昔の情景がみえて、嬉しかったですね。 古い、昔のお台所は一時綺麗にしたいために、すすだらけの天井を隠すために化粧板を貼ったりしていたんです。 その化粧板を外したら、思いがけない黒いすすの天井が見えてきました。 ワクワクの面白さがありますね。 天井も壁も全部、娘と私で抜きました

今から20年ほど前、最初の『木ままな美術館』が宮川村にできました。 その後、横輪町に移転して12年。 ライブや展示会など多くの人が訪れる場所となりました。

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バッハララ

今から3年ほど前、鈴鹿にパン屋さんがオープンしました。
コッペパンの店『バッハララ』です。
今回はお店を経営する小川透さんと久美子さんがお客様。
バッハはドイツ語で小川。
ララは小川さんご夫妻が飼っていた犬の名前です。
また、店内には透さんが作った皮製品が並べられています。
作品は小さなランドセルやバッグ、靴のキーホールダー。
お客様からは様々なオーダーが寄せられています。

もともと二人ともパンが大好きで、こんな店があったら良いな、という思いではじめました。
パン1つ召し上がっていただくことで、お肉やお野菜などの栄養も摂ることができ、しかも手軽に食べていただけるかなと思い、やってみました。
ウチのパンは小さめで丸い形をしています。
店の名前の焼印を表面に入れてあります。
みなさんがイメージするコッペパンと、すこし形が違うので、手にとっていただくお客様に「かわいいね」「小さいね」「丸いね」「これがコッペパン?」と言われます。
一応コッペパンとしてお出しさせていただいています。
みなさんが「美味しい」と言ってくださることを励みに、なんとかここまで来ることができました。
それこそ都会に行ったら、どんな店があるかな...と、二人で都会に出かけたりもしました。
原宿も青山も行きました。
田舎でのお店づくりに参考になるお店はなかなか難しかったですが、たくさんの店を二人で食べ歩いたのは良い経験でした。
お洒落とはかけ離れているかもしれませんが、精一杯、一生懸命作っています。

追求したのは『食べやすい』形、それが大きなこだわりです。
具材もたくさんではなく、小さなパンにそれなりの量を挟むことで、ひとりのお客様に何種類も食べていただきたい、というのも思いの一つでした。
手作り、ということが一番。
できるだけ安心安全な食材を取り入れ、塩分も控えめ。
余分なものは入れない、身体に優しいことをコンセプトにしています。
いろいろなお客様がいてくださり、みなさん良いお客さんばかりです。
良いお客さんに恵まれて、たくさんお話して、幸せというか本当に喜びをいただいています。
毎日違うお客さんも来ますし、常連さんも来てくれます。
何度も何度もというお客さんも、今日が初めてというお客さんもいて、本当に助けてもらっている感じです。
ご近所さんにも予めご連絡したところ、この近所全員といっていいくらい、みなさんに足を運んでいただいてもらっています。
ありがたいことです。
ご近所さんにも助けていただいています。
久しぶりに会う方もいて、「懐かしいね〜」なんて。
子どもたちが小さな頃に一緒に子育てした仲間やお母さんたちと、またここで話をできて、とても楽しいです。
今でもご近所さんがちょくちょく来てくださいますし、続いています

うちに並んでいる靴を見たときに、
「私の作っている人形の足に合うようなサイズの靴を作れませんか?」
というお話が来て、スケールを変えるだけで形自体は同じなので、形を変えるわけではないので、なんとかやってみようと作りました。
ブーツ、ランドセル。
ランドセルを作ったところ、もう一回り小さなものを作って欲しいと言われて、ちょっと大変だったんですけど、時間をくれたらチャレンジしますということで、それも作り、販売することができました。
あとは、赤いピンヒールを履くミュージカルがあって(キンキーブーツ)、それを演じる俳優産のファンの方が、そのピンヒールの赤いブーツを作って欲しいと言われて、ピンヒールは無理だと最初はお断りしました。
最初はそのお客さんも、そうですか、と帰られました。
で、また何を思ったか、数時間後にまたお店に来られて、ピンヒールは無理ですから富士山の逆さまというんですか、逆三角形的な根本の太いヒールで、先に行くに従って細いヒールを作ることはできないか、と相談されました。
じゃあ、一回できるかどうかわからないけど試してみますと、進めたところ、なんとかできたので、途中で一度見に来てもらいました。
もし気に入らなかったら、販売はしませんから、とりあえず見に来てくださいと。
で、見に来てもらったところ、けっこう気に入っていただいて。
「これ!これ!」
という感じで。
それで購入していただいたということもあります。

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加藤流三紘道

べっこうのバチにウコンで染められた3本の弦。
ピンと背筋が伸びた美しい姿で津軽三味線を演奏するのは、『加藤流三紘道』特別師範、訓峯会会主の加藤訓峯さんです。
邦楽の世界を多くの人に伝え導いてきたことが認められ、去年の5月、加藤さんは三重県文化奨励賞を受賞しました。
今回は、加藤さんに邦楽の魅力についてお話をしていただきます。

祖母が三味線をしていたので、私も幼少の頃から三味線を嗜んでいました。
平成元年に津軽三味線の加藤訓(さとし)先生の出会いがあり、そちらで津軽三味線を始めることになりました。
そのあたりから、本格的に三味線をはじめました。
加藤流は器楽合奏というのを得意としていまして、団体芸能なんですが、加藤流はそこで38回優勝している団体なんです。
その合奏の素晴らしさに魅せられて、津軽三味線を主体にしていこうと決めました。
一人のお上手な方が弾いても、やはり20人30人、50人の合奏はまた全然違った良さがあります。
私のチームですと、私が必ず掛け声をかけるのですが、三味線は指揮者がいないので、掛け声がとても重要となってきます。
緊張しますね。
加藤流で平成7年に『準師範』という免許をいただきました。
いただくと同時に、三味線の指導もはじめまして、なんとか三重県の中で全国大会に通用するようなチームを作りたいという気持ちが強くあり、三重県で私が指導してきました。
平成22年にようやくその夢が叶い、三重県では初めての、民謡民舞大会で、全国大会で優勝することが叶いました。

うちの会の面白さは、私は津軽三味線をしていますが、長唄とか端唄、民謡、それから沖縄の三線ということで、非常に広いジャンルに携わっているので、いろいろなものを見ていただけます。
お客さんの話ですと、飽きずに一日楽しめると言われています。
普通の民謡の教室はたくさんあったのですが、私が始めた当初は津軽三味線の教室はほとんどなく、特に鈴鹿より南の地域は、私しかいませんでした。
それで生徒さんが増えたことはあると思います。
全然先生がいなくて、カルチャースクールや音楽教室から先生をやってほしいという話をいただきました。
そこで、沖縄まで行って勉強してくるので何年か待ってほしいという話から、沖縄の那覇で先生に付きまして、しばらく修業しました。
それから教室をさせてもらうことになりました。
私の場合、全部違う楽器のつもりで演奏しています。

今、三重県の中でなくなってしまいそうな民謡が沢山あるんです。
鈴鹿市にもありますし。
津市にもあります。
『津音頭』はすっかり有名になって、盆踊りなどでもやっていますが、それより前に『伊勢津小唄』という曲があるのですが、そういう曲はもう誰も演奏しなくなりました。
伊勢の『伊勢音頭』でも、戦後にできた『伊勢音頭』はみなさん一生懸命やっていらしゃいますが、昔からある『伊勢音頭』は本当に演る人がいなくなって、どんどん廃れていってしまいます。
せめて私ががんばって、そういう曲を演奏することで、後世の方に残したいと強く思っています。
そういう曲は、昔芸姑さんが歌ったテープなどが残っている場合は、そちらの方から再譜をして、音取りをして勉強しています。
三重県の有名な民謡といえば『伊勢音頭』と『尾鷲節』の2つです。
あとはそんなにないんです。
でも埋もれている民謡はたくさんあって、良い曲もありますので、1曲でも掘り出して、後世に残していきたいです。

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