べっこうのバチにウコンで染められた3本の弦。
ピンと背筋が伸びた美しい姿で津軽三味線を演奏するのは、『加藤流三紘道』特別師範、訓峯会会主の加藤訓峯さんです。
邦楽の世界を多くの人に伝え導いてきたことが認められ、去年の5月、加藤さんは三重県文化奨励賞を受賞しました。
今回は、加藤さんに邦楽の魅力についてお話をしていただきます。
祖母が三味線をしていたので、私も幼少の頃から三味線を嗜んでいました。
平成元年に津軽三味線の加藤訓(さとし)先生の出会いがあり、そちらで津軽三味線を始めることになりました。
そのあたりから、本格的に三味線をはじめました。
加藤流は器楽合奏というのを得意としていまして、団体芸能なんですが、加藤流はそこで38回優勝している団体なんです。
その合奏の素晴らしさに魅せられて、津軽三味線を主体にしていこうと決めました。
一人のお上手な方が弾いても、やはり20人30人、50人の合奏はまた全然違った良さがあります。
私のチームですと、私が必ず掛け声をかけるのですが、三味線は指揮者がいないので、掛け声がとても重要となってきます。
緊張しますね。
加藤流で平成7年に『準師範』という免許をいただきました。
いただくと同時に、三味線の指導もはじめまして、なんとか三重県の中で全国大会に通用するようなチームを作りたいという気持ちが強くあり、三重県で私が指導してきました。
平成22年にようやくその夢が叶い、三重県では初めての、民謡民舞大会で、全国大会で優勝することが叶いました。
うちの会の面白さは、私は津軽三味線をしていますが、長唄とか端唄、民謡、それから沖縄の三線ということで、非常に広いジャンルに携わっているので、いろいろなものを見ていただけます。
お客さんの話ですと、飽きずに一日楽しめると言われています。
普通の民謡の教室はたくさんあったのですが、私が始めた当初は津軽三味線の教室はほとんどなく、特に鈴鹿より南の地域は、私しかいませんでした。
それで生徒さんが増えたことはあると思います。
全然先生がいなくて、カルチャースクールや音楽教室から先生をやってほしいという話をいただきました。
そこで、沖縄まで行って勉強してくるので何年か待ってほしいという話から、沖縄の那覇で先生に付きまして、しばらく修業しました。
それから教室をさせてもらうことになりました。
私の場合、全部違う楽器のつもりで演奏しています。
今、三重県の中でなくなってしまいそうな民謡が沢山あるんです。
鈴鹿市にもありますし。
津市にもあります。
『津音頭』はすっかり有名になって、盆踊りなどでもやっていますが、それより前に『伊勢津小唄』という曲があるのですが、そういう曲はもう誰も演奏しなくなりました。
伊勢の『伊勢音頭』でも、戦後にできた『伊勢音頭』はみなさん一生懸命やっていらしゃいますが、昔からある『伊勢音頭』は本当に演る人がいなくなって、どんどん廃れていってしまいます。
せめて私ががんばって、そういう曲を演奏することで、後世の方に残したいと強く思っています。
そういう曲は、昔芸姑さんが歌ったテープなどが残っている場合は、そちらの方から再譜をして、音取りをして勉強しています。
三重県の有名な民謡といえば『伊勢音頭』と『尾鷲節』の2つです。
あとはそんなにないんです。
でも埋もれている民謡はたくさんあって、良い曲もありますので、1曲でも掘り出して、後世に残していきたいです。